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まだ部誌を書き始めたころは日差しが明るく照らしていてくれたのに、それも削がれて薄暗くなった部室。 日が沈むような時間ではない。おそらく空が曇ったのであろう、雨の心配はないだろうか。 それにしても、こんなに暗くなるとは思わなかったから、入るときに電気を点けなかったのだけれど。 あと少しで書き終えるのに。今更点けに立ち上がるのも面倒くさくて、窓から差し込む微かな光を頼りにペンを走らせていた。 部室には私ひとり。部員たちはテニスコートで練習に励んでいる。 そしてここはテニスコートからそう遠くは離れていない。ペンの走る音しかしない伽藍とした部屋の外から、 練習のざわめきとボールの弾む音が少しばかり耳に届く。 それから、先程から定期的な、機械音。 (あー、誰の携帯よ) 私が部室に入ってからもうこれで四度目の着信だ。もしかしたらそれよりずっと前から鳴っていてもおかしくない。 その携帯は無防備にも私の隣のイスの上で光っていて。せめて自分のロッカーに閉まっておけよ、と毒づきながらも、 ちかちかと着信を知らせるランプの光を目にしてしまう。 こんな薄暗い部室だからこそ、その訴えてくるような主張を見過ごすことは難しかった。 何度も電話やメールをするくらいだ、よっぽど大事な用件がこの携帯電話の主にあるのかもしれない。 そしてその不在の主は今きっとテニスコートで汗水流して練習に夢中になっているはずだから、そんなこと知る由もない。 これは今別に知らなくてもいいもの? でも家族が事故に遭ったどうしようとかいう電話だったらどうしよう。 ならマネージャーである私がちょっとぐらい確認して取り次いであげても、べつに、 「うーわーもろ女の名前」 まあそんなことだろうとは思ったけれど。これは取り次ぐ必要はないなと判断して、一度手に取った携帯を元の場所へ戻す、つもりだったのだが。 開かずとも光る小さなディスプレイに流れる名前には見覚えがあった。確か可愛いと評判の二年生じゃないか。 そんな女の子から何度も電話がかかってくるなんて、さすがは立海テニス部、の誰かは知らないけど。誰でも納得できるのが皮肉だ。 でもこんな部室に携帯を堂々と忘れていくなんて、柳や仁王がやりそうなことではない。可能性としてはうっかり者のブン太か、もしくは、 「それ、俺のケータイっす」 「切、原」 もしくは、切原。いつも時間ギリギリに部室に滑り込んでは、 ぐちゃりと荷物を放り捨てて、ロッカーにぎゅうぎゅう押し込んで、慌ただしくコートへ走っていく。 そのロッカーにはいつも着替えた制服が扉に挟まっていて。放課後帰る彼の背中はシワシワなことも少なくない。 その切原が、不意に現れる。つかつかとこちらへ近寄って、 先輩、ここ暗くないすかとか口にしながら、けれど電気のスイッチを入れることもなく。 切原が部室の扉を開けたことで漏れた光もすぐに閉じられたおかげで、薄暗い部屋で光るものは、私の手の中だけ。 「どうしたの、練習は?」 「ラケット交換しようと思って。つか、ケータイ」 「あ、ここに置きっぱなしだったから。あと何度も電話きてたみたいだよ。はい」 「ども」 光る携帯は、私の手から切原のもとへ。切原はそれを素早く開いては、誰からの着信だったのか確認する。 着信を知らせる光は消されたが、ディスプレイの光が切原の顔を小さく照らしていた。 「でも相手が誰かは見ちゃった。ごめんね」 「あー、別に」 そこでディスプレイは閉じられて、切原の顔はまたよく見えなくなった。と、ちょっと待って。 今、切原は携帯をロッカーにきちんと片付けたけれど。それから携帯と一緒にさっきまで使っていたらしきラケットも置いて、 代わりのラケットを取り出した、けれど。あの可愛い女の子には、連絡しなくていいの。 そりゃあ部活中と言われればそれまでだけど。でも切原はそういうのを気にする人じゃないだろうし (部活がそんなに大事なら用を済ませばすぐに出ていくだろう、だけど切原は突っ立ったままだ)、 今は部室でうるさい先輩(真田とか)もいないし、私は別に少しメールを返すくらいは気にしない。 今練習してるから、後で電話するとかどうとか送ってあげてもいいじゃない。あんなに何度も電話あったんだよ。 何かあったのかなとか思わないの。 無意識に訴えていたのか、切原はどうしたんすか、と中途半端な敬語で問いかけた。 「えーと。返事、しなくていいの」 「部活中っすよ」 「…」 「なんすか」 「いやまさか本当にそんな答えが返ってくるとは」 「はあ?」 「気にしないで。やー、今あたししかいないし、ぱぱっとやっちゃってもいいよ」 とは言ってみたものの、切原はしばらく動く様子はなかった。 ロッカーをまた開くわけでも、部室の扉を開いて出ていくわけでもなく。ああ、返事でも考えてるんだろうか。 そう思うことにして、私はまたペンを取り、ノートの上の数字をにらんだ。今月も部費の集まりが悪いなあと眉をしかめたとき、 切原はさっきまで自分の携帯が光っていたイスに座った。つまりは私の隣に。 「ちょっと。なに座ってんのよ」 「やっぱいいっす」 「えー、なにが」 「あいつ、別に大した用じゃないと思うんで」 ぽろり、握っていたペンが転げ落ちる。何の宣誓だ。一瞬呆気にとられたが、まあ切原とはこういう奴だ。 ときどき冷たく光るような表情を見せる。 ところが「彼女じゃないの」と聞くと、唸り声だけが返ってきた。よくわからないところで、年相応なような、生意気なような。 「期待持たせるようなことするからだよ」、そう忠告すると、 「だからシカトしてるんすよ」、と、今度はご立派に。なるほど。その気もないのに向こうを盛り上がらせてしまったから、 この電話もメールも返さないってわけですか。そりゃ返事しちゃったらますます期待しちゃうもんね。 この嫌味な後輩も、一応考えて行動しているらしい。こういう男には引っかからないようにしよう。 気を取り直して、さあ続き続き。とさっき落としたペンを探してはみるが、どうしたことか見つからない。 おかしいなと暗い机の上に目を凝らすと、隣で文字を走らす音が聞こえる。 切原が私の落としたペンで、会計のノートに何やら書き込んでいた。 ちょっと、落書きしないで。その言葉は切原の言葉によって、押しつぶされて、 「先輩だったら、ソッコー返事しますよ」 筆圧の薄い私の字が羅列している中、特別濃い筆圧の数字と暗号。 それが何なのか気付く前に、切原は自分のロッカーを再度開けて、また着信があったのか、ちかちかと光っている携帯を私に渡す。 小さなディスプレイには、あの子の名前があるんじゃないの。ねえ。 「期待しちゃっていいんで」 引っかかるまい、と数秒前に誓ったはずなのに。暗闇の中きらりと光る切原の目に、私は吸い込まれる。 |