「ウザいんだけど」


その一言で俺の彼女と言い張っていた女はわっと泣きだし、教室を飛び出していった。 クラス中がしん、と冷たくなる。なんだよ、こっち見んな。 教室の隅でこそこそと小声で嫌味を言った女子を一瞥すると、そいつもふいに涙目になった。 女子はどいつもこいつも俺の機嫌を伺って、損なわせたと感じた瞬間すぐに泣く。 めんどくせえ。視界に何も入らないように、俺は机に突っ伏した。マジだりい。と呟いたとき、頭の上から声がした。


「切原、寝てる?今日ミーティングになったよー」


それまでの空気と違った間の抜けた声に飛び起きる。横には先輩が立っていた。 目を細めて、「やっぱりふて寝だ、」といつものように笑う。 マネージャーである先輩はいつも部内連絡を口頭で伝えに教室までやってくる。 メールでいいのに、とそのたびに思うけれど。めんどくさくねーのかな。


「レギュラーだけだから、放課後すぐに部室ね」
「了解っス。わざわざすいません」
「ん」


にこ、とまた先輩は笑った。子供を褒めるような、よくできました、って笑顔。 別に返事しただけなんだけど。そういう顔は試合に勝ったときとかにしてほしい。 ま、いつも笑ってる人だけど。
要件を伝え終えた先輩は「じゃあね、」と手を振って背中を向けた。 わざわざ教室までやってくる割にはすぐに帰ってしまう。そのあたり事務的なのか、俺に関心がないだけなのか。 先輩のいまいちよく分かんないところだ。 ふと前を見やると、遠くから顔色を窺うようにこっちを見ている女子と目が合う。 またかよ。教室のあまりの居心地の悪さに嫌気がさし、俺は先輩についていった。 先輩はすぐに俺に気付く。


「え、なに、どしたの」
「や、別に」
「あー女の子泣かしたから、教室居づらいんだ」
「!な、んで」


急所を突かれて、俺はどれだけ驚いた顔をしたんだろう。先輩はおかしそうに笑った。


「だって今教室入ってくるとき、泣いてる女の子とぶつかったから。そしたら切原は機嫌悪そうだし」
「…(図星とかまじありえねえ)」
「あ、もしかして、彼女?」
「彼女っていうか」
「別れたんだ?」
「…たぶん」
「たぶんって何」
「…ウザいっつったら泣いてどっか行ったから」
「うわー。えげつない」
「しょうがねーじゃないスか、泣かれるのうっとーしいし」


そうだね、鬱陶しいね。一呼吸おいてから、先輩は笑ってそう答えたけれど、 それはそういうことを言う男が「鬱陶しいね、」とでも言いたげなニュアンスに思えた。 本意が噛み合わないまま、 先輩は教室を出て、真っ直ぐ廊下を歩いていく。その一歩はとても小さくて、抜かそうと思えば追い抜ける。 でも俺はできるだけゆっくりと足を動かした。先輩の考えを知るために、もう少し話がしたかったから。


先輩は、」
「ん?」
先輩は、泣くんスか」
「え、普通によく泣くけど」
「でもウザいとか言っても泣かなさそー」
「あたし切原にウザいことなんかしないもん」
「そういうんじゃなくて。俺、先輩が泣いてるところ、見たことねえっス」
「やだ。切原の前では泣かないよ」


切原の前では泣かないよ。と言われて思い出す。 関東大会の決勝、先輩は試合から帰るとき、いつものように笑ってはいたくせに、その目を赤く腫らせていた。 そのときは気にも留めなかったけれど、今思えばあれは泣いていたんだ。 俺の見えないところで、こそこそと隠れて。 それから丸井先輩に「さっきはありがとう、」なんて言って持っていたらしいチョコレートを渡していた。 さっきって何だよ。もしかして丸井先輩に慰めてもらってたってわけ? 丸井先輩の前では泣けるわけ?意味わかんねえ。

カッとしてから気付く、ここで腹が立つ意味合い。ぐ、と唾を飲み込んだ。


「でも先輩、関東大会の決勝のあと、泣いてたっスよね」
「なんだ、見たことあるんじゃん」
「目え赤いところ見ただけなんスけど。珍しいなと思って」
「だってうち常勝でしょ。負けに免疫、なくて」
「あー」
「だから。もう、負けないで。ね」


廊下の端まで来たところで、そう笑った先輩を見送った。その背中で思うことは、どうしていちいち笑う?

事ある毎に笑う顔は、ときどき作り物じゃないだろうかと思わせるほど精巧。いつだって完璧な角度で口角を上げる。 だから彼女を笑わせるのなんて簡単だ。でも泣いてくれるのはよっぽどで。 心を許した人の前でしか彼女は泣かない。 泣いてほしい。俺の前で、ぼろぼろになって、崩れ落ちるように。滅茶苦茶に泣き叫ぶのでもなんだっていいから。 それくらい、俺に弱いところ、見せろよ。 そしたら俺は安心して、アンタを抱きしめられることができる。のに。

この人はどうしたら泣くだろう。だからって他人に泣かされるのはもっと嫌だ。 その想いは熱を帯び、いつしか違うかたちとなって加速する。





硝 子 色 の



20080629 ( 泣かしてみてえ )